いざ、巌流島へ


巌流島ということばの響きには、人を惹きつけるものがある。
小次郎と武蔵の決闘には、
剣士の宿命のようなものが感じられる。
1時間もあれば回れる島だといわれると、
行くべきか行かざるべきかと迷うところもあるが、
一度は行ってみる価値があるはずだ。



巌流島へ渡る
  
関門汽船発券所で巌流島行きの切符を買うと、巌流島のパンフレットを渡された。島のガイドが載っていて助かる。
掲示板には、関門時間ガイドの紹介があって、音声ガイド付きというのも面白そうで、切符売り場で、「No.1 平家物語と波の下の都を巡る旅」と「No.2 宮本武蔵を巡るたび入門編」を買い求めた。

その場では読むこともなく、家に戻ってからゆっくり読んだり聴いたりした。
音声ガイドを聴来ながら島を訪ねたら、楽しみ方も変わっていたかも知れない。
関門汽船の発券所も桟橋も、ホテルの目の前だった。
巌流島へは10分ほどで着いた。向かう船中でのアナウンスも、島へのわくわく感を増幅した。

桟橋には、「巌流島へようこそ」と書かれたゲートがあり、興味津々、巌流島への1歩を踏み出した。
左の巌流島案内図で緑の部分の大方が元々の島。島が舟の形をしているということで、正式名は舟島。薄茶色の部分は埋め立て地で、私有地であり、一般の人の立ち入りはできない。

巌流島という名は、佐々木小次郎の流派、巌流にちなんで付けられた。

舟島には、昭和48年まで人が住んでいて、毎年お祭りをしていたそうだ。

神社略記によれば、現在も彦島自治連合会が祭主となり、1年に一度の例祭と佐々木小次郎の慰霊祭を行っているとのこと。
島には佐々木巌流之碑もある。
明治43年(1910)に船島の開墾工事が完了したのを記念して建てられたということだが、島に小次郎が眠っていると考えられているのだろうか。

武蔵と小次郎の決戦では、武蔵が勝った。しかし、島には小次郎の名が付けられている。小次郎を慰霊するためにそうなったのか、それとも、武蔵を卑怯者とみることで巌流と付けたのか。
巌流島文学碑 舟は関門橋をむいている。「白い雲の空に、小次郎の面影が見える。……」村上元三作『佐々木小次郎』の一節とアクリル板に焼き付けられた、画家古舘充臣作、武蔵と小次郎の決闘シーン。

巌流島の文字が、関門海峡に溶け込んでいる。
文学碑から少し行くとビュースポットやまぐち(関門海峡)がある。いい景色だ。海峡ゆめタワーから視点を右に回していけば、関門橋が中央にあり、さらに進めるとレトロ展望室。

さらに進むと、小高く盛り上げたところに武蔵・小次郎像があるが、巌流島歴史絵巻を石碑にしたものがある。
(右はパンフレットのコピー)
対をなす武蔵像と小次郎像だが、作者は異なっており、小次郎像が先に設置され、数ヶ月遅れて武蔵像がおかれたそうだ。
それは、時間通りに着いた小次郎が、遅れて到着した武蔵を待つところに重なるのかも。

平成30年12月竜王戦第7局の決戦前日に上陸した羽生善治竜王(当時)と広瀬章人八段の記念手形が残されている。
  この島に 二人降り立ち 闘ひし
むかしの男 恋ほしかるかな
森重香代子

山口の歌人の句は、この島で二人は戦ったのだなあとしみじみと思わせる。

アントニオ猪木も、あの馳浩も、この巌流島で戦ったのだとか。

坂本龍馬をはじめ、巌流島を訪れた有名人も多いそうだ。巌流島には、何か惹かれるものがある。 
 

そして、小倉へ
巌流島から唐戸に戻り、土産物を探した後で市場で食事をした。
その後、小倉でしばしの時を過ごした。
といっても、それほどの時間もないので、近くにある北九州マンガミュージアムを訪れた。

故松本零士さんが館長だったこともあり、彼の作画の様子のビデオなども見られた。
銀河鉄道のキャラクターなどの像が、小倉駅近辺にあるようだが、その気になっていなかったので見落としてしまった。
残りの時間、ゆっくりしたいとミュージアムで教えてもらった2つのカフェは、苦労して探してもどちらも待ち人が多くて入るまで行かず、まさに足が棒になった。

コメダ珈琲も行列ができていて、どうしたものかと途方に暮れたとき、ふと客のいないカレー屋が目に付いた。
飲み物だけでどうんなものかと尋ねてみると、ラッシーやチャイならあるとのことで、やっと落ち着くことができた。
今回の旅を振り返ってみると、迷子になったり、当てがはずれたりといったことがないわけではないが、振り返ってみれば、自分たちで行き先や行き方を調べ(誰が?それは言わないの!)、それぞれの場で最善の方法を模索しながらの旅は、心に残るものも多かったといえる。

このホームページも生き物で、同行者の意見や後日思い出したことなどを追加していきたい。
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