函館の旅 3日目


往路で函館駅前までの移動に使ったシャトルバスで、駅前から五稜郭タワーへ直行した。

まずは、タワー展望台から五稜郭の全容を見ることに。
思ったよりも空いていて、すんなり展望2階へ。

五稜郭の全容が見えるのだが、ガラス枠のために途中で切れてしまう。広角レンズを使わないとうまく収まらないようだ。


見晴らしはいいのに、ガラス枠が……
晴れていて、見晴らしはよかったが、生憎函館山だけはガスって隠れてしまっていた。

五稜郭周辺の道路は、放射状に広がっているところが多い。フランスパリの凱旋門から放射状に道路が広がっているのと似ている。
函館バスの行き先に、「五稜郭」という文字が目立つ。五稜郭は、函館の中心的存在なのだろうか。

展望2階には、函館の歴史について、写真や模型を使ってペリーの来航、五稜郭の工事、旧幕府軍の占領をへて箱館戦争、終結など、ていねいに説明されていた。

函館山は雲の中
タワーからは、五稜郭内を歩く人々の姿も見えたが、今度は、自分たちがそのうちの一人になる番だ。

空気はさらっとはしているが、さすがに日差しは強い。
2つの橋を渡り、五稜郭内へ。
門をくぐったところの藤棚は立派だった。

さらに進むと箱館奉行所がどっしりと構えている。

江戸末期、蝦夷地を治めるために箱根奉行が任命されたが、さらに開港による防御強化のために現在の五稜郭の地にヨーロッパの城郭都市を参考にして箱根奉行所が築造された。

明治になり新政府が治めるもの、反政府軍が立てこもって箱館戦争の拠点と化した。

終結後、五稜郭内の建物は解体され、わずか7年ほど利用されるにとどまったようだ。

一時は、公園としてのみ利用されていたが、本来の姿が理解されやすいようにと、20年ほどの発掘調査を経て、平成18年から平成22年(2010年)にかけた工事で、箱根奉行所が再現された。

ということは、再現されたのは、わずか12年前だったのだ。

再現工事の様子は、ビデオで紹介されたいたが、ここまでするのかと思うほどの念の入れようで、さすが観光都市函館ならではと思ったものだった。

五稜郭の独特な形状を体感したくて、土塁の上を歩いた。

奉行所に向かう途中で、堀の雑草を片付けている人を見かけたが、確かに敷地内はきれいに整備されていた。

歩いてみると広さは実感できるが、高みから見るのではないので、独特な形状の一辺、一辺のどこを歩いているという感覚はなかった。
五稜郭タワー前から、再びシャトルバスで駅前に戻り、案内所でもらったパンフレットで紹介されていた炎陣というラーメン屋で昼食をとった。クーポンを利用して、わかめのトッピングを付けてもらった。

帰路についての選択では、
直行の帝産バス利用という手はあったが、
せっかく購入した乗車券を利用して空港に帰れないか調べてみた。15時43分発の空港行きがあった。
時間もあるので、摩周丸を見学することにした。
摩周丸の船体は見えるが入口がわからず右往左往したが、思っていた反対側に見つけることができた。

かつて青森函館間を結ぶ青函連絡船と言うのがあったとは聞いていたが、利用した頃もなければ、船を見たこともなかった。

実物は、そこいらのフェリーと比べるとかなり大きなもので、それが頻繁に行き来してたということだ。

(日本海フェリーなどは、この程度の大きさなのかな)
船内のグリーン指定椅子席などは、まさに鉄道のグリーン席で、国鉄感がみなぎっている。

非公開部分をネットワークカメラで見られるようになっていて、船の中に線路が引き込まれているのがよくわかる。

一等客車を載せて運行した時期もあったようだが、洞爺丸事故以来、貨物車のみの搭載に変わったようだ。
操舵室(4階)から外を見ると、まるで運行中の船に乗っているような雰囲気が味わえる。

操舵室の下の階はサロンになっている。食事ができるようなスペースだったのだろうか。

そこの売店に、連絡船の運行表のクリアファイルがあった。まさに鉄道のダイアグラムだ。手書きの書き込みも味があり、思わず買い求めることにした。

帰りは、すんなりと駅に向かうことができた。摩周丸の近くにクルーズ船用の休憩所の工事が進められていて、その陰になっていて入口を見つけにくかったということだった。

駅のすぐ横になるプティ・メルヴィーユという店で、イチゴのバターサンドをお土産に買い、時間が来るまでのティータイムを楽しんだ。

その後は、路線バスで空港まで移動し、名古屋行きのANA機に乗り込むのだった。
TOPへ 1日目へ 2日目へ