後鳥羽上皇の史跡中ノ島(海士町)


 渡船は菱浦港に到着。
フェリーターミナルは木をふんだんに使っていて和む。

 キンニャモニャ踊りのアイテムでもある「あましゃもじ」が飾ってあった。

 大きな荷物はここに預ける。そういえば、渡船でも。乗り込むときに荷物は入口近くに席にまとめてくれていた。
 隠岐海士交通のバスは、椅子も小ぶりで窮屈だった。狭い道にも対応させる知恵か。

 動き出してすぐに、バスはスピードを落とし、
「あの門の奥に、小泉八雲夫妻がお過ごしになった宿がありました」
との解説が。

 旅館の跡が八雲広場になっていて、夫妻の銅像もあるのだとか。
 10分も走っただろうか、バスは駐車場に入った。
 そこには、2人のガイドさんが待っていて、メインを務めた人は、愛知県の海部でしばらく過ごして、この海士に戻りましたとのこと。

 道路沿いに、綱掛の松の表示が。かつてはここまで海が寄せてきていて、この松に綱を掛けて船を留めたのだとか。切り株は元の松のもので、後鳥羽院を乗せた船も留めたのだろうか?
 これから訪ねる後鳥羽天皇火葬塚は、宮内庁の管理下にあるようで、
 一、みだりに域内に立ち入らぬこと
 一、魚鳥等を取らぬこと
 一、竹木等を切らぬこと
                   宮内庁
との注意書きが。

 進入路にも、厳かな雰囲気が漂う。
 後鳥羽院火葬塚。ここで火葬され、一部は京都へも運ばれた。
 火葬塚は、一時、後鳥羽院神社であった。石の鳥居はその頃からのものとのこと。

 門扉には、菊の紋章が彫られている。

 天皇が19年を過ごした源福寺は、明治の廃仏毀釈の際に壊され、行在所跡として残されている。
 京都に戻りたいという天皇の願いは叶わず、19年をこの地で過ごし、「遠島百首」などを残している。

 敷地内に句碑も多くある。
 行在所脇、勝田池の傍らの句碑
   蛙鳴く勝田の池の夕たたみ
     聞かましものは松風の音


 蛙の鳴き声で松風の音がかき消されていた。天皇がこの句を吟じると、鳴き声がパタッと止んだとか。
 そして、隠岐神社へ。
 天皇崩御700年の節目となる昭和14(1939)年創建。
 海士町のシンボルである。出雲大社を思わせるようなしめ縄だ。

 一昨年の大水の時、境内にできた流れをみて、訪れた学生が石を並べて川にしたとか。
 我々は神社から下る形での参拝になってしまった。
 石段を下りて、振り返ると、狛犬も迫力があった。奉納相撲の土俵もあった。

 鳥居をくぐった後で改めて振り返ると、格式を感じさせ、島の人々に愛される神社であると分かる。
 道路を挟んで、海士町後鳥羽院資料館があり、後鳥羽院の資料が展示されている。
入口を入ったところに、初代の綱掛の松が展示されていた。

この先は、撮影禁止。

 隠岐へ遷られる前の有髪時の御影、御手印御置文などのレプリカが見られる。原本はいずれも水無瀬神社に保管されている。

 館内のショップでは、海士町のお土産が買えるのだが、ゆっくり探すには時間が足りなかった。
隠岐のTOP へ 名古屋から隠岐へ 遊覧船で国賀海岸 へ